2025/08/15 10:55
三月初め、夜明け前の暗闇を抜けて車を走らせた。
向かった先は、富士を望む湖として知られる田貫湖だ。
朝焼けの富士を撮りたかった。
その時期はダイヤモンド富士は望めないものの、 山の稜線から陽光が真っ直ぐに放たれ、
湖面には逆さ富士が映る。そんな景色を撮れるはずだった。
ところが、空は厚い雲で覆われ、心にも憂鬱な雲がかっていった。
空が白みはじめる頃、湖畔に到着。
準備をしながら夜明けを待つ。
雲が流れるにつれ、隙間から空がのぞく。
わずかな期待を胸に夜明けを待った。
明るさを増す空、けれど期待していた朝焼けはない。
代わりに、深く静かな藍色が訪れた。
湖面もまた、その色を映し、世界は一面のブルーに包まれてゆく。
夢中でシャッターを切った。
北斎ブルー。
そう、それは、北斎や広重が描いた「藍色が織りなす世界」だった。
18世紀半ば、ベルリンから日本にもたらされた「ベルリン藍」。
「ベロ藍」と称される独特の藍色は、江戸の絵師を夢中にさせた。
北斎や広重はその代表だ。
その色彩の持つ美しさを引き出すために、彼らは技法さえも刷新したという。
藍色の濃淡が重なり合い、響き合う。
カメラ越しに、北斎ブルーの世界とひとつになってゆく。
まるで自分も藍の一部になったかのような不思議な感覚。
同時にその世界を見ている自分も別に存在する。
境界が溶け合い、目の前の世界と調和し、「空(くう)」となる。
その感覚がたまらなく心地よい。
生きている実感、生かされていることへの感謝が湧き上がり、静かに満ちていった。
「思い通り」ではない美
自然相手の撮影は、思い描く光景と出逢えることは稀だ。
この日もまた、期待していた朝焼けは訪れなかった。
だが、雲があったからこそ生まれた北斎ブルーがあった。
想定外の、当初の期待を超える贈りものだった。
一期一会。
過剰な期待を手放したとき、大自然は思いもよらない景色を見せてくれる。
それは決して偶然ではなく、必然の出逢いのように感じられるのだ。
藍の記憶を、魂に刻む
北斎ブルーに染まる富士。
冷気に潜む静けさと響き合い、心の奥底まで染まってゆく。
写真を見返すたび、あの朝の空気が蘇る。
それは風景の記録であると同時に、魂に刻まれた記憶でもある。
いつかまたこの地を訪れても、同じ色には二度と出逢えないだろう。
だからこそ、その瞬間を写し取り、静かな余韻とともに胸に残しておきたい。
藍色に染まったあの富士は、今も私の中で、変わらぬ色を放ち続けている。