2025/08/26 14:34
初夏の蓼科。
三度目の旅で訪れたのは、東山魁夷「緑響く」のモチーフとなった御射鹿池。
その名を耳にしたことはあったが、作品を詳しく知っていたわけではない。
けれども池に辿り着いたとき、「あぁ、これか」と腹落ちした。
テレビCMで目にしたことがある。
到着したのは午前十一時前。凪いだ湖面を期待して池へ向かう。
松林が視界を覆い、池の全貌ははっきりとは見えない。
やがて木々の隙間から景色が開けた。
なんて深い静寂の世界なのだろう。
幻想的な美しさに、心は一瞬にして奪われた。
カメラを構え、夢中でシャッターを切る。
わずかな風が水面を揺らしていたが、やがて静まり、湖畔の緑を映す鏡となった。
水面に揺らぐ緑と、森の奥に広がる静寂。
これまで数多くの景色を撮ってきたが、御射鹿池での時間は格別だった。
魂が震え、心が踊り、写真を撮る歓びが内側から溢れ出してくる。
東山魁夷は「描くことは祈ること」だと語った。
御射鹿池の水面に映る景色は、単なる自然を映したものではない。
そこにあるのは、自然と心が響き合い、静かに祈りが立ち上がるような心象風景なのだ。
ただ残念なことに、池の周囲には柵が設けられている。
かつては自由に近づけたが、SNSの拡散によって訪れる人が増え、自然保護のために整備されたという。
美しい場所が広く知られる一方で、どんどん壊され、失われてゆく。
そんな悲しい現実をここでも目の当たりにした。
真に美しい世界は、理解を超えて存在を溶かしてしまうほどの力がある。
出逢った瞬間、魂は自然と共鳴し、心の奥深くまで沁み渡ってゆくのだ。
SNSに出す目的で写真を撮る人たちは、こうした感覚を抱けているだろうか。
自然に対する畏怖の心を持ち合わせているだろうか。
そうではあるまい。だから失われ続ける。
こんな美しい世界が残されていくことを、私は心底願っている。
写真に残すのは、祈りでもあるのだ。
御射鹿池での体験もまた、私の中で祈りの波紋となり御魂の記憶に深く刻まれた。
四季折々に表情を変えるこの池を、これからも訪れてみたい。
きっと訪れる度に新たな「祈り」と出逢い、深まってゆくのだろう。